我流のおせち

おせち

18歳で故郷を出て大阪の4年、そのまま結婚で22歳で京都で主婦36年のキャリア。義母は私におせちづくりを教えることなく、若い嫁の作ったものをよろこんで食べてくれていた。たぶん長年のおせちづくりから開放されてうれっしかったのだろう。黒豆(かたかった!)だけは自分の台所(3世帯同居だったが、キッチンが別にあった@これが賢い同居のちえ)で煮て、私たちの食卓へ3が日訪れて来た。廊下を隔てて奥の方からお年玉を携えておもむろにやってきた義母とのお正月がいまとなれば懐かしい。

クッキングブックで覚えた我流のお節。ごまめは息子が好きでよく手伝ってくれた。盛りつけは二女がうまかった。長女はいっしょにクッキングしていたので、アトランタでもちゃんと作れたらしい。
さあ、今夕わがファミリーが全員集合@計10名か?


お節はもっと若い頃の方がちゃんと作っていた気がするが、もう手抜きの甚だしいこと限り無し!お煮しめだけは美味しいお出汁で煮含めたが...。今晩と明日のお客待ち!

漆のお皿は8枚遺っている先代からの迎春もの。超薄手の本漆である。
それにご自慢は、京都迎賓館の銀の間の調度品を作成した友人の漆工芸家で詩人の下出○太郎さんの漆の祝い盃と角盆(お節を盛りつける)があることだ。前者はあるお祝い事でいただき、後者はお高くなる前に(笑)作成をお願いしておいたものがあること。