息子というもの

ake1492005-11-05


またまた増殖する俳句歳時記よりお借りしてきました。
世の息子の生態をうまくついている俳句と説明文に、京の母はちょっと安心しました。そんなものなんですね。
増殖サイトの清水氏は民放連の委員で毎月月報で拝読@私はMBSの委員で、来週、TBSとの合同番審大会が大阪であります。
ーーーーーー以下引用

西山春文 「母よりの用なき便り柿の秋」
季語は「柿」で秋。「柿の秋」とあるが、この「秋」は季節を表すのではなく、旬の時期(収穫期)という意味だ。故郷の母親から封書が届いた。一瞬ぎくりとして、何事ならんと読んでみると、特別な用事もない便りだったので、ほっとしている。
母の伝える近況や田舎の様子を読んでいるうちに、自然に懐かしくよみがえってきたのは、たわわに実をつけた柿の木のある風景だった。作者は、いわばその原風景からそこで暮らした日々のことなどを思いだして、しばし懐旧の念にふけったのだろう。これが「用ある便り」だったとしたら、そうはいくまい。「用なき便り」の効用である。

最近は電話もあるので「用なき便り」も減ってきたとは思うけれど、しかし電話でよしなしごとを長時間しゃべれるのは母娘の間に限られるようで、母と息子が「用なき」長電話をする図はちょっと考えられない。何故なのかはよくわからないが、とにかく昔から男は肉親に対してあまり口をきかないものと相場が決まっているのだ。だから、句の母も「用なき便り」にしたわけである。かくいう私も例外ではなく、母から電話をもらっても三分ともたない。手紙が来てもなかなか返事を出さず、内心で「便りのないのは良い便りと言うじゃないか」とうそぶいたりしている。実にけしからん不肖の息子である。『創世記』(2003)所収。(清水哲男